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色が 光が 音が 匂いが あちらこちらで賑やかにはじける嬉しさ
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ブログの意味ということについて。

ある友人が語ってくれたことです。
 試しにブログで日常生活をタイムテーブルのように時間刻みで公開したら好評だった。
 でも、時間刻みのスケジュールからは「私」を分かってもらえないと思う。
 プロフィールもおなじ。
 年齢や性別じゃ理解してもらえない。
 私が考えたことを書くのが一番「私」を伝えられると思っていたんだけど、やっぱり日常生活について書くほうがいいのかな…
彼/彼女の考えはもっともだと思ったので、今までどおりでいいんじゃないか、と言っておきました。

で、自分のブログについて。
ちなみに、このブログは私にとっては意味のあるものだけど、他の誰かの役にたつことをそんなに意図していません。
私は彼/彼女と同じようにスケジュールやプロフィールからは「私」のことをわかってもらえないと思います。
でも、ブログで「私」をわかってもらおう、ということ自体に既に無理があるとも思うのです。
直接に会うわけではないから、という点と
インターネット上で無差別に公開になっているから、という点で。
私にもっと文章力があれば、また別なのかもしれないけれど。
だから
「私」のある一面をちらっと見てもらえればいい、と思っています。
しかも、そもそも、「(一面であっても)私を見てもらう」ということを目的にブログをはじめたわけではないので。
うけとめてほしい、とは思うけれど「うけとめる」はただ「読み流す」だけでも充分なのです…
目的は、強いて言えば
流行に乗りたかったとか、
とりとめない文章を書いて残しておきたかったとか、
単におもしろそうだったとか。
極端に言えば、偶然?!

だから性別も年齢も職業も不詳だし、
(記事をたくさん読めばなんとなく推測はされそうですが)
具体的な地名やお店の名前や
細かい背景や
発言の立場や
その他色々
明確に書いていません。
書かないことにも問題は多いのかな、とも思いつつ。

他のブログを読みに行くと
記事の次にはプロフィールをチェックしてしまうのですが。
矛盾してるよね…
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今日考えさせられたこと。
こんなことがありました。

ある映像を見て幾人かの人たちは
豊かな感性の現れだ、といいました。
それを見て別の人は
センチメンタリズムが蔓延している、といいました。

ここには指示語の混乱が少しあります。
「それ」というのは
映像が「豊かな感性の現れ」だという視点から会話していること、
を指しています。

つまり、

同じ映像を見てある人たちは
豊かな感性の現れだ、といいました。
それをみて別の人は
センチメンタリズムが蔓延している、といいました。

という意味ではないということ。
2番目の「それ」は映像を指していると読むほうが自然なはず。

「別の人」は1つめの「それ」を使っていたけれど、
「豊かな感性の現れ」だという視点からの会話を
センチメンタリズムと感じるということは
彼が、もとの映像に対しても
その映像がセンチメンタリズムの塊だとは言わないまでも、
「豊かな感性の現れ」以外の視点を持っていたとも考えられます。

そして幾人かの人たちは、
自分たちの会話がセンチメンタリズムに満ちているだとは感じていないはずです。
たぶん。

だから彼は、2重に、その幾人かの集団とは違うとらえ方をしていたことになります。
映像そのものの見方と、その映像に関する会話の見方という点で。

私はその幾人かの集団の中にいましたが、
この場面に立ち会ったとき
様々な意見に出会えてよかった、と思いました。
物事には多くのとらえ方が存在するのだから、
バックの違う人同士が対話して異なった意見が聞けるということは
そのとらえ方をより幅広く見られるということであると。
そこからきっと、お互いに学べるものがあると。

さて、この私のとらえ方は果たして
弁証法的な
止揚されたとらえ方なのでしょうか。
それとも
八方美人な
生産性のないとらえ方なのでしょうか。
カラスが苦手です。

明方までおきていたときにカラスの声が聞こえると、
これまでおきていたことが夢だったかのような錯覚に襲われます。

ゴミ置き場の近くにからすたちが陣取っていて、我が物顔に歩き回っていると、
回り道をしたくなります。
(いそいでる時は目をあわさないようにして足早に通ります)

公園でお弁当を広げるとねらってくる、全くもって我慢ならないカラスもいて、
でも恐ろしいので文句は言わずに、慌ててお弁当をしまいます。

つやのある真っ黒な体にはある種の清潔感があって、
八本足のク○や、キッチンで黒光りするゴ○○リに抱くような「いやなかんじ」はないのですが、
頑丈そうなくちばしと羽を広げた時の大きさには、
身の危険を感じさせられます。
すばしこく動く目と頭、器用な袋の破り方などを見ていると、
賢い動物でこちらのことを見透かされているような気がしてしまいます。

神話や寓話に出てくる烏そのままのようなかんじ。
たぬきもきつねも、他の色々な動物も、お話に出てくるのよりも現実はもっと動物動物してるのに。

因みに
タイトルにある「ぬばたま」は黒いものにつく枕詞。
もともとは植物の名前のようですが、
なにやら禍々しい語感。
くねくねしたかたちの「ぬ」や濁点のはいった「ば」という文字のせいでしょうか、
ナ行、マ行のこもった音のせいでしょうか、
母音にaが多いからでしょうか…
この間テレビで
よいこのはまぐちさんが
シベリアと砂漠を体験して、
熱いのと寒いのどっちがいいかを考えるというのやっていました。

そんなに差はないにしても
最近の一日の寒暖差はすごい。

夜寒くなるだろうなと思って
上着を一枚持って出たのですが、
昼は着ていたカーディガンを脱ぐほどの暖かさ。
逆に夜はカーディガンの上に上着を着ても耐えられない寒さ。

あまりに寒くて肩がこりました。

人間はまだ
衣服で調節できるからいいけれど、
動物は大変そう。

いや動物はまだ
暖かいところや涼しい所に移動できるけれど、
植物はもっと大変そう…

季節の変わり目。
体調管理には気をつけましょう。
中世の錬金術は金を作り出そうとするものでした。
「練金」自体は成功しませんでしたが
その研究は後世の原子の研究に貢献しました。

「練金」がうまく行かなかったのは
金はAuという原子の塊であり
核融合などではない普通の化学変化では
原子の構成を変えることは出来ないので
Auを作り出すことはできないからでした。

錬金術は失敗に終わりましたが
練ダイヤモンド術はできるはず。
ダイヤモンドは墨や鉛筆の芯に含まれているのと同じ炭素Cからできています。
違うのはその配列だけ。
ダイヤモンドは炭素原子がちょうど蜂の巣のように整列しているだけなのです。

「練ダイヤモンド術」も実際には難しいとか。
高圧にしなければならないそうで。
でもときどき、人工ダイアモンドを見かけます。
ドリルの先っちょとかで。

逆練ダイヤモンド(?)ようするに、ダイヤモンドがただの炭素に戻るのは
すごく簡単。
燃やしちゃえばいいだけです。
炭が燃えるのと同じように、
酸素と結びついて二酸化炭素になって消えてしまいます。
そんな実験
もったいなくてしたくないけど。

なぜこんな話になったかって、
4月の誕生石がダイヤモンドだからです。
それだけ。
PROFILE
もともと色がよかったわけでも
全てがいたづらだったわけでも
深くよをながめていたわけでも
ないけれど
それでも
うつりにけりな
と思ってしまう今日この頃
               HN:
               Dolphin

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