色が 光が 音が 匂いが あちらこちらで賑やかにはじける嬉しさ
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最近、なんだかすごい人たちのコミュニティに参加しているけれど、
なぜか劣等感を感じない。
私は彼らのようにすごくはないけど、
そして彼らを尊敬するけど、
それは劣等感には直接は結びつかない気がしてる。
同じコミュニティのメンバーが、最近よく劣等感を感じると言っていたので、なんだか気になってしまって。
劣等って等級が劣るということ、
つまり劣等の対極には優等があって、1本の数直線の中で優劣をつけて考えているから感じるものなのではないかな。
あの子は算数が得意だけど、私は国語が得意
あの子はスタイルがよいけど、私は力持ち
とか、そういうふうに軸を複数設けて、
それぞれ優れたところは違うから劣等感を持つことはないのだ、
という思考方法では、劣等感を一度感じてしまった人の助けにはならないかもしれない(なることもあるかもしれないけれど)。
たとえ軸が何本あったとしても、その中で優劣を、
しかも交換可能な優劣を(あの子が算数が得意な分、その分私は国語が得意というように)つけているから。
優劣をつけるという土俵の中の思考だから。
そうじゃなくて、優れているとか劣っているとかではなくて、どの軸の上でも優劣なんてものはないのだと思う。
(目に見える外部の評価、お給料とか、ステータスとかはまた別かな。
そこにある優劣の土俵から出るためには、
その評価自体が真正でないとか、その評価をすること自体が価値を歪めている側面があるとかいう論理が必要かもしれない。)
軸という表現とは矛盾するかもしれないけれど、メビウスの輪のようなイメージ。
自分の立っているところから尊敬している人のほうを見て、
そのままずっと先を見ていくと、いつの間にか自分の立っている裏側に来て、
さらにそのまま行きつづけると自分の立っているところに戻ってくる。
そんなかんじ。
でも、メビウスの輪のような永遠に回り続ける優劣は、個人と個人の比較だけでは想定しにくい。
比べるのではなく、協同する時に、最優秀とその逆という点から点への数直線の上のではない違いの認め方が生まれるのではないかな。
別のメンバーが、このコミュニティでは違いが受け入れられている感じがして安心できる、と言っていたのもわかる気がする。
優劣ではないけれど、でも違うということ。
力をあわせて動こうとするコミュニティだからこそ、直線ではない軸で見ることが可能になっているのではないだろうか。
なんて、とりとめもなく。
なぜか劣等感を感じない。
私は彼らのようにすごくはないけど、
そして彼らを尊敬するけど、
それは劣等感には直接は結びつかない気がしてる。
同じコミュニティのメンバーが、最近よく劣等感を感じると言っていたので、なんだか気になってしまって。
劣等って等級が劣るということ、
つまり劣等の対極には優等があって、1本の数直線の中で優劣をつけて考えているから感じるものなのではないかな。
あの子は算数が得意だけど、私は国語が得意
あの子はスタイルがよいけど、私は力持ち
とか、そういうふうに軸を複数設けて、
それぞれ優れたところは違うから劣等感を持つことはないのだ、
という思考方法では、劣等感を一度感じてしまった人の助けにはならないかもしれない(なることもあるかもしれないけれど)。
たとえ軸が何本あったとしても、その中で優劣を、
しかも交換可能な優劣を(あの子が算数が得意な分、その分私は国語が得意というように)つけているから。
優劣をつけるという土俵の中の思考だから。
そうじゃなくて、優れているとか劣っているとかではなくて、どの軸の上でも優劣なんてものはないのだと思う。
(目に見える外部の評価、お給料とか、ステータスとかはまた別かな。
そこにある優劣の土俵から出るためには、
その評価自体が真正でないとか、その評価をすること自体が価値を歪めている側面があるとかいう論理が必要かもしれない。)
軸という表現とは矛盾するかもしれないけれど、メビウスの輪のようなイメージ。
自分の立っているところから尊敬している人のほうを見て、
そのままずっと先を見ていくと、いつの間にか自分の立っている裏側に来て、
さらにそのまま行きつづけると自分の立っているところに戻ってくる。
そんなかんじ。
でも、メビウスの輪のような永遠に回り続ける優劣は、個人と個人の比較だけでは想定しにくい。
比べるのではなく、協同する時に、最優秀とその逆という点から点への数直線の上のではない違いの認め方が生まれるのではないかな。
別のメンバーが、このコミュニティでは違いが受け入れられている感じがして安心できる、と言っていたのもわかる気がする。
優劣ではないけれど、でも違うということ。
力をあわせて動こうとするコミュニティだからこそ、直線ではない軸で見ることが可能になっているのではないだろうか。
なんて、とりとめもなく。
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爪はかなり丈夫なたちで、自爪を長めにのばしていたのですが、
とうとう先端が割れてしまいました。
親指だから、いろいろ不便…
割れたのは、ちょうど爪を切って短めになった直後。
油断していた時に籠にひっかけました。
長い時には気をつけているから、意外と無事なもの。
ある意味では
勝って兜の緒をしめよ
ということですね。
とうとう先端が割れてしまいました。
親指だから、いろいろ不便…
割れたのは、ちょうど爪を切って短めになった直後。
油断していた時に籠にひっかけました。
長い時には気をつけているから、意外と無事なもの。
ある意味では
勝って兜の緒をしめよ
ということですね。
いつも、Dolphinは
おティーも、オレンジピールのチョコレートも、シナモンの香りのチョコレートも、シナモンティー(チャイ)も、シナモン入りのコーヒーも、アップルパイも。
って言ってたけど…
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「はなの」が書きました。
おティーも、オレンジピールのチョコレートも、シナモンの香りのチョコレートも、シナモンティー(チャイ)も、シナモン入りのコーヒーも、アップルパイも。
って言ってたけど…
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「はなの」が書きました。
販売店をたくさん持ってる和菓子屋さん、
デパ地下などでよく見るけど、おつかいものが多くて、なかなか自分用には買いません。
たねやのふくみ天平(皮と餡があって自分で作る最中)とか、
虎屋の羊羹とか、残月(生姜風味のどら焼きの皮みたいな…)とか。
いただくとすごくおいしいのだけれど、自宅用に買うのは気がひけて。
亀屋万年堂はもうちょっと入りやすいので、秋の籠盛の詰め合わせを買ってきました。
その中の、朝露と恵比寿かぼちゃです。
朝露は黄身時雨。
しっとりしています。
一個食べきるとかなり満足する重みと、口いっぱいに広がる甘みと卵の香り。
しつこくないのに、ぎゅっとエッセンスだけとったような甘み。
幸せです。
恵比寿かぼちゃは、すごくおいしいかぼちゃをほとんど味をつけずに煮付けたような、
かぼちゃそのものの味です。
かぼちゃの形に作ってあるのもかわいらしい。
味はかぼちゃそのものだけれど、くちどけは本物のかぼちゃ以上。
ほくほくしすぎるわけでも、ねっとり感が強いわけでもなく、
重みはあるのにふわっととけていく感じ。
あまりにおいしそうで、写真なんて撮る前に食べてしまいました。
だから、包装だけです…
デパ地下などでよく見るけど、おつかいものが多くて、なかなか自分用には買いません。
たねやのふくみ天平(皮と餡があって自分で作る最中)とか、
虎屋の羊羹とか、残月(生姜風味のどら焼きの皮みたいな…)とか。
いただくとすごくおいしいのだけれど、自宅用に買うのは気がひけて。
亀屋万年堂はもうちょっと入りやすいので、秋の籠盛の詰め合わせを買ってきました。
その中の、朝露と恵比寿かぼちゃです。
朝露は黄身時雨。
しっとりしています。
一個食べきるとかなり満足する重みと、口いっぱいに広がる甘みと卵の香り。
しつこくないのに、ぎゅっとエッセンスだけとったような甘み。
幸せです。
恵比寿かぼちゃは、すごくおいしいかぼちゃをほとんど味をつけずに煮付けたような、
かぼちゃそのものの味です。
かぼちゃの形に作ってあるのもかわいらしい。
味はかぼちゃそのものだけれど、くちどけは本物のかぼちゃ以上。
ほくほくしすぎるわけでも、ねっとり感が強いわけでもなく、
重みはあるのにふわっととけていく感じ。
あまりにおいしそうで、写真なんて撮る前に食べてしまいました。
だから、包装だけです…
例えば、を考えるのって楽しい。
たら、れば、を考えるのはなんだか後ろ向きな感じがして好きではないのだけれど、
例えば、もし、だったら未来形だから。
(未来形は、この先実現するかどうかわからないことを言うときに使うもの。つまり空想の世界も未来形で語れる。)
例えば、宝くじが当たったら?
というのは序の口だけど、お金の使い道ならなんとか考えられても、どんなにびっくりするかとか、誰に報告するかとか、そういうことまで考え出すと大変。
例えば、創作和食のお店のコックさんと仲良くなったら?
なんて、身近なところでも。
新しい料理を作ったら、試食第一号になって、盛り付けなんかにアイディアを出して、後でお店にこっそり行って人気具合を観察したり。
例えば、明日地震が起きたら?
なんていう、一見ネガティブなものも。
たぶん、一旦めちゃくちゃになったときに、本当に残るものが大事なんだろう、とか。
例えば、眠っている人の見てる夢を一緒に見れたら。
って空想するのも。
楽しそうだけど、怖い夢、悪夢だったらやだな。
でも意外と、その人にとって最も適切に最大限に怖い夢って、その人ピンポイントのものだから、他の人から見ると怖くなかったりして。
たら、れば、を考えるのはなんだか後ろ向きな感じがして好きではないのだけれど、
例えば、もし、だったら未来形だから。
(未来形は、この先実現するかどうかわからないことを言うときに使うもの。つまり空想の世界も未来形で語れる。)
例えば、宝くじが当たったら?
というのは序の口だけど、お金の使い道ならなんとか考えられても、どんなにびっくりするかとか、誰に報告するかとか、そういうことまで考え出すと大変。
例えば、創作和食のお店のコックさんと仲良くなったら?
なんて、身近なところでも。
新しい料理を作ったら、試食第一号になって、盛り付けなんかにアイディアを出して、後でお店にこっそり行って人気具合を観察したり。
例えば、明日地震が起きたら?
なんていう、一見ネガティブなものも。
たぶん、一旦めちゃくちゃになったときに、本当に残るものが大事なんだろう、とか。
例えば、眠っている人の見てる夢を一緒に見れたら。
って空想するのも。
楽しそうだけど、怖い夢、悪夢だったらやだな。
でも意外と、その人にとって最も適切に最大限に怖い夢って、その人ピンポイントのものだから、他の人から見ると怖くなかったりして。
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もともと色がよかったわけでも
全てがいたづらだったわけでも
深くよをながめていたわけでも
ないけれど
それでも
うつりにけりな
と思ってしまう今日この頃
HN:
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